主な人物

魚豢

学者

生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。

劉曄

生没年不詳。字は子揚。九江郡成徳県の人。成徳侯・劉普の子。阜陵王・劉延の末裔。曹操が寿春を攻略するころ蔣済や胡質と共に出仕した。魏が成ると関内侯、侍中となった。曹丕、曹叡の側近として太中大夫、大鴻臚を歴任するが、晩年は疎まれて失意のうちに没した。東亭侯。

王祥

185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。

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