後凉
publish: 2021-11-09, update: 2021-11-09,
概要
名称 | 成立 | 滅亡 | 期間 |
---|---|---|---|
後凉 | 389 | 403 | 14 |
系譜
- --呂婆楼
- 1-呂光
- 3-呂纂
- 2-呂紹
- --呂宝
- 4-呂隆
歴代君主
呂光
338年-399年。字は世明。後涼の創建者。懿武帝。呂婆楼の子。氐の出身。前秦の都督西討諸軍事として西域を遠征し威光を広めた。その間に前秦は淝水の戦いで敗北しており、その後の混乱を知ると自立した。旧前涼の領土を掌握したが北涼、南涼の分離が相次ぎ勢力は急速に衰えた。
呂紹
?-399年。字は永業。後涼の第2代天王。隠王。呂光の子。立太子のうえ王位を継承した。兵権を有する兄・呂纂を恐れて譲位を申し出たが、辞退された。まもなく害されることを恐れた呂纂に攻撃され、宮中で自害した。
呂纂
?-401年。字は永緒。後涼の第3代天王。霊帝。呂光の子。呂紹、呂弘の兄。庶子であったため立太子されなかった。呂紹からの譲位を拒否したが、呂弘に唆されて呂紹を廃した。後に対立し挙兵した呂弘を討った。南涼や北涼を攻撃するものの失敗し、呂超に殺害された。
呂隆
?-416年。字は永基。後涼の第4代天王。末主。呂光の弟・呂宝の子。呂纂が呂超らによって殺害されると呂超らに擁立された。相次ぐ内訌により後秦の侵攻に抗えず、降伏して長安に連行された。後に姚弼の謀反に巻き込まれ姚興に処刑された。