西涼

publish: 2021-11-12, update: 2021-11-12,

概要

名称成立滅亡期間
西涼40042121

系譜

  • -
    -
    李昶
    • 1
      -
      李暠
      • 2
        -
        李歆
      • 3
        -
        李恂

歴代君主

李暠

351年-417年。字は玄盛。西涼の創始者。武昭王。李昶の子。隴西郡狄道県を本貫とする隴西李氏。段業が後涼から独立して北涼を建てたとき敦煌太守となる。晋昌太守の唐瑶に推戴されて北涼から独立した。殖産と貿易により内政を安定させ、漢文化の保持に務めた。病没。

李歆

?-420年。字は士業。西涼の第2代公。後主。李暠の第2子。父の死後公位を継ぐ。父・李暠の政策を継承し東晋に臣従した。刑賞の乱れや財政難を起こし失政が続いた。北涼への遠征を強行するも、逆に北涼の沮渠蒙遜に大敗し捕らえられて処刑された。

李恂

?-421年。西涼の第3代君主。末主。李暠の第5子。兄・李歆が北涼の沮渠蒙遜に大敗し処刑されると、首都酒泉から残党をまとめて旧都敦煌へ逃れた。北涼の追跡を退けて敦煌を支配するも、改めて北涼の攻撃を受けた。籠城のすえ敗れて自害した。

Page(/dynasties/400_西涼/_index.md)