高演
publish: 2021-11-05, update: 2021-11-05
535年-561年。字は延安。北斉の第3代皇帝。孝昭帝。高歓の第6子。高殷が即位すると、輔弼した楊愔、燕子献、宋欽道を偽勅で処刑し権力を掌握した。太皇太后婁昭君と結託して高殷を廃し自ら皇帝に即位した。落馬で重体となり死期を悟ると弟高湛に帝位を譲った。在位1年。
関連
斛律金
488年-567年。字は阿六敦。朔州勅勒部の人。斛律大那瓌の子。塵を見て敵の数を知り、地を嗅いで敵の距離を測ったという。破六韓抜陵に従ったが降伏して爾朱栄に帰順した。その後、高歓に従い東魏、北斉の変遷の中で自身のみならず一族を繁栄させた。咸陽郡王、左丞相。
高粛
541年-573年。字は長恭。蘭陵王。高澄の第4子。若くして都督并州諸軍事と并州刺史を兼任し、突厥や北周を相手に歴戦したが、その威名を恐れた高緯から毒薬を賜り自殺した。勇猛さは『蘭陵王入陣曲』として残り、美貌と悲劇的末路から伝説となった。高長恭の名で知られる。
楊愔
511年-560年。字は遵彦。弘農郡華陰の人。楊津の子。名門、弘農楊氏の出。幼くして寡黙、沈着で言論に優れた。北鎮の乱を経て高歓に仕官し行台郎中となった。公文書を扱って枢機に預かり、高洋の即位後は侍中、尚書令を歴任した。高演、高湛の排除を目論み露見し殺害された。