高湛
publish: 2021-11-05, update: 2021-11-05
537年-569年。北斉の第4代皇帝。武成帝。高歓の第9子。兄高演が落馬で重体となると、帝位を譲られて即位した。贅沢を尽くして、強引な賦役を課し、和士開などの奸臣に専横を許すなど、朝廷内の腐敗を促進させた。子の高緯に帝位を譲り太上皇帝となった。病没。在位4年。
関連
崔季舒
?-573年。字は叔正。博陵郡安平県の人。崔瑜之の子。若くして父を失うも学問に頭角を現し、高琛の属官を経て高歓に重用された。元善見の側近となり「我が乳母」と評されるほど信任される一方で、高澄からも厚く信任され大きな発言力を持った。権力闘争著しい朝廷にあって韓鳳の讒言により殺害された。
劉桃枝
生没年不詳。出自は不明で奴隷とされる。高歓以来、北斉の歴代君主に仕えて、時の権力者の汚れ役、実行役として多くの重臣、皇族を処刑した。高徳政、高浚、高渙、高叡、高帰彦、高儼、斛律光と名だたる人物を殺害しながら保身に優れ、北斉の苛烈な権力闘争を全うした。北斉滅亡後の事跡は無い。
和士開
524年-571年。字は彦通。清都郡臨漳県の人。和安の子。西域の商胡(ソグド人)の子孫という。北斉が成ると召されて高湛に寵愛された。高洋に軽薄と評価され長城への徙刑に処され後に許された。高湛の即位後は累進して、高湛の死後は権力を専横した。高儼によって捕縛、処刑された。