劉義符
publish: 2021-08-08, update: 2021-10-25
406年-424年。劉宋の第2代皇帝。少帝。劉裕の第1子。父劉裕の死後即位した。傅亮、徐羨之、謝晦の輔弼を受けたが、言行に節度がなく信望を失った。音楽に精通し遊戯に明け暮れた。張太后の勅令を得た徐羨之らに廃位され、まもなく殺害された。在位2年。
関連
劉義隆
407年-453年。劉宋の第3代皇帝。文帝。劉裕の第3子。兄劉義符が廃されると即位した。兄を殺害した罪で徐羨之らを処刑し朝廷を掌握した。元嘉の治と呼ばれる全盛を築くが、晩年は北魏の侵攻を受けて国内は乱れた。劉劭の廃嫡を考えるが、決起した劉劭に殺害された。在位29年。
沈攸之
?-478年。字は仲達。呉興郡武康県の人。沈叔仁の子。若くして父を亡くし困窮した。元嘉の治が終わるころ、北魏の外患に備えるため徴兵された。劉駿以来4代に仕えて車騎大将軍、開府儀同三司まで昇った。劉昱が廃位されると挙兵して反乱したが、離反が相次ぎ華容にて横死した。
殷景仁
390年-441年。陳郡長平県の人。殷道裕の子。劉毅の属官を経て劉裕に従い、そのまま宋の成立と共に入朝した。当初は劉湛との関係も良好で、荊州に出向した劉湛の呼び戻しを推薦したが、後に一方的に劉湛からは憎まれた。病を称して家に留まること五年におよび、その間、劉義隆との書簡の往来で職務を全うした。