劉裕
publish: 2021-08-08, update: 2021-10-25
363年-422年。字は徳輿。劉宋の初代皇帝。武帝。劉翹の子。劉牢之に従い軍功を重ねた。劉牢之が失脚すると桓玄に属したが、桓玄が司馬徳宗を廃して皇帝を自称すると、劉毅・諸葛長民らと反乱した。桓玄を討って司馬徳宗を復位させるが、後に自ら皇帝となり宋を建国した。在位2年。
関連
王球
393年-441年。字は倩玉。琅邪郡臨沂県の人。王謐の子。王導の玄孫。太守として統治に優れ、中央に入って侍中、州大中正、中書令を歴任した。権臣との過度な交流を避け顔延之ら文人との交友を持った。持病のため解任されたが無官のまま劉義隆の諮問が絶えなかった。
鮑照
414年-466年。字は明遠。東海郡襄賁県の人。貧しい家柄に生まれ、臨川王・劉義慶に仕えたほか、臨海王・劉子頊の下で前軍参軍を努めた。劉子頊が反乱すると、混乱のなか殺害された。詩人として高名で、その作風は通俗的と批判される一方で、躍動的にして新奇的であり、後世に大きな影響を残した。
王華
385年-427年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王廞の子。王恭と王国宝の争いの中で父・王廞が行方不明となり、恩赦を受けるまで逃亡生活の幼少期を過ごした。後に劉裕によって喪中が発せられ、正式に服喪した。劉義隆に仕えて、張邵の失脚後その職務を代行した。