劉纘 ( りゅうさん )

publish: 2021-12-04, update: 2021-12-04

王朝

章節

hongi

138年-146年。質帝。後漢の第10代皇帝。勃海王・劉鴻の子。千乗王・劉伉の曾孫。梁冀により擁立された。梁冀の専横を誰も咎めない朝廷を見かねて、僅か8歳にして梁冀を跋扈将軍と揶揄して譴責した。その聡明さと気概を恐れた梁冀によって毒殺された。

関連

王覇

?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。

劉炟

57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。

徐栄

?-192年。幽州玄菟郡の人。字や出自は明らかでない。董卓に従って中郎将となった。曹操、鮑信、孫堅らと戦って勝利を重ね、董卓の軍事面を大いに支えた。董卓の死後は王允に従い、長安を攻める李傕、郭汜らを迎撃したが、胡軫、楊定らに裏切られ戦死した。

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