慕容暐
publish: 2021-07-29, update: 2021-10-25
350年-384年。字は景茂。前燕の第3代君主。幽帝。慕容儁の三男。河南へ進出し東晋領の洛陽を得るも慕容恪の死後は国威が低下する。洛陽の領有問題を起点に前秦と敵対し大敗のすえ鄴は陥落、降伏した。在位11年。淝水の戦い以後没落する苻堅の暗殺を試みるが失敗し殺害された。
関連
慕輿根
?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。
鮮于亮
生没年不詳。范陽郡の人。はじめ石虎に仕えたが後趙が段部を攻撃したとき、前燕の奇襲を受けて捕縛された。堂々とした態度が認められそのまま慕容皝に取り立てられた。前燕の高句麗討伐や中原進出では先鋒をになった。章武郡太守、斉郡太守を歴任した。
慕容儁
319年-360年。字は宣英。前燕の第2代王。景昭帝。慕容皝の次男。父の死後王位を継ぐ。石虎の死後混乱する後趙へ出兵し幽州・冀州を制圧する。冉魏を滅ぼして河北を掌握すると皇帝に即位した。河南への進出を企図するなか病没した。在位11年。