乞伏熾磐
publish: 2021-11-08, update: 2021-11-08
?-428年。字は太祖。西秦の第3代の王。文昭王。乞伏乾帰の子。南涼の人質となっていたが、後に父乞伏乾帰の下に出奔する。西秦が復興すると立太子される。父が乞伏公府に殺害されると乞伏公府を殺害し王位を継承した。南涼を滅ぼし北涼と抗争した。病没。在位16年。
関連
乞伏暮末
?-431年。西秦の第4代の王。乞伏熾磐の子。乞伏熾磐の死後王位を継承した。北涼の攻撃により北魏への帰順を画策するが果たされなかった。夏の攻撃に降伏し、まもなく赫連定に殺害された。在位3年。
乞伏国仁
?-388年。字は烈祖。西秦の創建者。宣烈王。乞伏司繁の子。隴西鮮卑の出身。前秦から南単于に封じられた。淝水の戦いの前、叔父の乞伏歩頽が反乱を起こすと討伐に当たったが、淝水の戦いで前秦が大敗すると慰留されて状況を静観した。苻堅が姚萇により殺害されると独立した。
乞伏乾帰
?-412年。字は高祖。西秦の第2代の王。武元王。乞伏国仁の弟。始め前秦の苻登に従ったが苻登が戦死すると子の苻崇を攻撃し前秦を滅ぼした。亡命を繰り返すも自己の勢力を保持し続け後秦の衰退が顕著になると再び独立した。甥の乞伏公府に殺害される。