石弘
publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25
313年-334年。字は大雅。後趙の第2代皇帝。海陽王。石勒の次子。石勒の死後、石虎を恐れて帝位を譲ろうとするも、石虎に拒まれて強制的に皇帝に即位した。しかし、実質は石虎の傀儡であり石虎の権力掌握は進んだ。その後、石虎によって廃位され殺害された。在位1年。
関連
冉閔
?-352年。字は永曾。冉魏の君主。武悼天王。冉瞻の子。石虎の養子。漢人。後趙の将軍として功績を立てる。石虎の死後混乱した後継問題に介入し、石遵、石鑑を廃して皇帝に即位した。後趙残党の石祗を滅亡させるも、前燕の南下を引き起こし慕容恪に捕らえられ処刑された。
苻洪
284年?-350年。字は広世。元の姓を蒲とする。氐の出身。前趙、後趙に従い、石虎の代には使持節、都督六夷諸軍事、冠軍大将軍を受任し、西平郡公に封じられた。石虎の死後は冉閔と対立し、関中一帯に自立したが、麻秋に毒殺された。その勢力は子の苻健に引き継がれ、前秦の実質的な創建者と捉えられる。
石遵
?-349年。字は大祗。後趙の第5代皇帝。廃帝。石虎の九男。皇太子石宣が誅殺された折、石世と並んで立太子の候補にされた。石虎の訃報を聞いて挙兵し鄴に上って石世を廃した。兵権を握る冉閔を危険視し除こうとしたが、石鑑の密告を受けた冉閔により処刑された。在位183日。