司馬熾
publish: 2021-04-25, update: 2021-10-25
284年-313年。字は豊度。西晋の第3代皇帝。懐帝。司馬炎の第25子。司馬衷の死後、即位した。全国の反乱に応対するが、西晋の衰退を止めることは出来なかった。司馬越が洛陽を空にして出鎮したまま病死すると、前趙の攻撃により洛陽は陥落した。平陽に拉致されたのち処刑された。
関連
楊駿
?-291年。字は文長。一族の楊艶、楊芷が司馬炎の皇后となった。外戚として権力を集め、重職を委ねられるようになったが、能力に不足し人望は高まらなかった。専横を憎む賈南風一派の政変によって失脚し、一族もろとも処刑された。暗愚だったが、敵対者を無暗に殺害しなかった。
荀藩
245年-313年。字は泰堅。後漢の司空・荀爽の玄孫。荀勗の子。司馬顒が長安に居ながら二元政治を行ったとき、洛陽にいて政治を取り仕切った。永嘉の乱では洛陽から逃亡して臨時政府を立て、司馬睿を盟主とした。司馬鄴を迎えたが、長安遷都には従わなかった。司空まで昇る。病没。
司馬冏
?-302年。字は景治。斉王。司馬昭の孫。司馬攸の子。八王の一人。司馬倫に協力して賈氏一族を滅ぼすが、後に司馬倫から軽んじられた。司馬倫が暴政を行うと、司馬穎、司馬顒らと決起して司馬倫を退位させ、司馬衷を復位させた。司馬顒が挙兵すると洛陽で呼応した司馬乂によって捕縛され、処刑された。