司馬衍
publish: 2021-04-25, update: 2021-10-25
321年-342年。字は世根。東晋の第3代皇帝。成帝。司馬紹の第1子。司馬紹の死後即位する。蘇峻の乱では建康が陥落したときに身柄を拘束されるが、乱が鎮圧されると建康に戻った。幼くして即位したため政治は王導、庾亮、温嶠らによって為された。若くして病没。在位17年。
関連
殷仲堪
?-399年。陳郡長平県の人。殷師の子。殷浩は従伯父にあたる。謝玄の属官を経て、荊州刺史として西府軍を統括した。王恭に同調して王国宝を殺害せしめるが、再度挙兵した際には調略された桓玄と敵対し敗死した。果断に乏しく軍人としては評価されないが、恤民に溢れて政治に優れた。
王敦
266年-324年。字は処仲。王基の子。王導の従兄。司馬睿と共に江東に移った。行政を取り仕切った王導に対して軍権を掌握した。王氏の強権を警戒した司馬睿に忌避されたため、反乱を起こして政敵を粛清した。司馬紹から討伐の勅命が出され、再び反乱を起こしたが病没した。
司馬岳
322年-344年。字は世同。東晋の第4代皇帝。康帝。司馬紹の第2子。司馬衍の弟。司馬衍の死後、司馬衍の子がいずれも幼かったため、年長者として庾冰に擁立されて即位する。兄と同様早世する。在位2年。