司馬曜
publish: 2021-04-25, update: 2021-10-25
362年-396年。字は昌明。東晋の第9代皇帝。孝武帝。司馬昱の第6子。父司馬昱の死後、桓温の権勢が続く中で王坦之、王彪之、謝安の尽力で即位した。治世は淝水の戦いで前秦を崩壊させるなど東晋の全盛期となったが、謝安の死後は後宮に入り浸り張貴人に暗殺された。在位24年。
関連
釈道安
314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。
王敦
266年-324年。字は処仲。王基の子。王導の従兄。司馬睿と共に江東に移った。行政を取り仕切った王導に対して軍権を掌握した。王氏の強権を警戒した司馬睿に忌避されたため、反乱を起こして政敵を粛清した。司馬紹から討伐の勅命が出され、再び反乱を起こしたが病没した。
司馬紹
299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。