司馬昱
publish: 2021-04-25, update: 2021-10-25
320年-372年。字は道万。東晋の第8代皇帝。簡文帝。司馬睿の末子。司馬奕を廃した桓温に擁立されて即位されたためその実は傀儡であった。即位の翌年には病に伏せり「諸葛亮、王導の如くせよ」と桓温へ遺言した。在位は1年に満たない。
関連
桓温
312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。
王羲之
303年-361年。字は逸少。王曠の子。王導、王敦の従兄弟甥。人格と才覚を評価されて度々要職へ任官されたが、その度に辞退し地方官への任官を望んだ。後に会稽郡に移住し悠々自適と精進の中から楷書・行書・草書の各書を確立させた。書の芸術性を見出したとされ書聖と称される。
王鎮悪
373年-418年。北海郡劇県の人。王猛の孫。王休の子。前秦が崩壊して関中が混乱すると、叔父の王曜に従って東晋へ亡命した。武芸は不得意だったが学問には優れ、推薦を受けて劉裕に仕えた。劉裕の北伐に大きく貢献した。沈田子の救援に譴責をもって応えたため、沈田子の不信を買って殺害された。