司馬岳
publish: 2021-04-25, update: 2021-10-25
322年-344年。字は世同。東晋の第4代皇帝。康帝。司馬紹の第2子。司馬衍の弟。司馬衍の死後、司馬衍の子がいずれも幼かったため、年長者として庾冰に擁立されて即位する。兄と同様早世する。在位2年。
関連
謝玄
343年-388年。字は幼度。謝奕の子、謝安の甥。桓温の辟召を受けて属官となる。謝安に推挙されて北府を管轄し、劉牢之などを登用した。前秦の強勢を退け淝水の戦いでは前秦を大破した。その後の前秦の混乱を好機とし兗・青・司・豫州の四州を平定したが、間もなく病没した。
謝安
320年-385年。字は安石。謝裒の第3子。桓温の属官を経て中央へ任官した。桓温が簒奪を企てると王坦之と共に反対し、桓温が病死するまで先延ばし工作をした。前秦の南下を謝石、謝玄らに対応させ、淝水の戦いで大勝させた。晩年は司馬道子と対立して中央を辞した。病没。
王敦
266年-324年。字は処仲。王基の子。王導の従兄。司馬睿と共に江東に移った。行政を取り仕切った王導に対して軍権を掌握した。王氏の強権を警戒した司馬睿に忌避されたため、反乱を起こして政敵を粛清した。司馬紹から討伐の勅命が出され、再び反乱を起こしたが病没した。