拓跋紇那
publish: 2021-10-12, update: 2021-10-25
生没年不詳。代の第6代、および第8代王。拓跋猗㐌の子。兄の死後跡を継いだ。後趙の攻撃で不利となり本拠を東木根山から大寧に移すなど勢威を落した。拓跋鬱律の子・拓跋翳槐と王位を巡り、宇文部や賀蘭部を巻き込んで争った。前燕へ亡命した後の事跡は不明。
関連
拓跋猗盧
?-316年。代の初代王。拓跋沙漠汗の子。鮮卑拓跋部。分割されていた拓跋部を再統一した。并州刺史の司馬騰や劉琨に協力して、一貫して前趙と戦った。司馬鄴により代王に封じられた。後に後継問題を起こし、長子の拓跋六脩に殺された。在位1年、
拓跋孤
生没年不詳。拓跋鬱律の子。拓跋翳槐、拓跋什翼犍の弟。拓跋翳槐が死去したとき、後継の拓跋什翼犍が遠地の人質だったため代わって諸族に擁立されたが、長幼を重んじて自ら鄴へ赴き人質の交換を申し出た。領土の半分を統治する強権を持ったが、その地位は子の拓跋斤には継承されなかった。
拓跋翳槐
?-338年。代の第7代、および第9代王。拓跋鬱律の子。父が惟氏に殺害されると賀蘭部に逃れ匿われた。賀蘭藹頭に擁立されて代王となった。弟の拓跋什翼犍を襄国に送り後趙と修好した。怠慢の賀蘭藹頭を殺したため諸族に離反され鄴へ逃亡した。後趙の後援を受けて拓跋紇那を破り、本拠を大寧から盛楽へ移した。