拓跋弘
publish: 2021-08-07, update: 2021-10-25
454年-476年。北魏の第5代皇帝。献文帝。拓跋濬の第1子。父拓跋濬の死後即位する。即位時は幼少であったため、丞相の乙渾や馮太后が補佐に当たった。親政を行うと馮太后と対立し子の拓跋宏への譲位を余儀なくされる。国内の法治を整備したが、馮太后に毒殺された。在位6年。
関連
元曄
?-532年。北魏の第10代皇帝。東海王。拓跋濬の弟拓跋楨の孫、元怡の子。爾朱栄が元子攸に殺害されると、爾朱世隆らに擁立された。爾朱世隆の傀儡であり、傍系の出身でもあって人望を得られなかったため、即位翌年に廃立された。後に後難を恐れた元脩に殺害された。
元法僧
454年-536年。元鍾葵の子。拓跋珪の第3子・拓跋煕の曾孫。益州刺史に任じられるが統治は拙く、徐州刺史に転任した。元叉による粛清を恐れて、彭城にて挙兵し、皇帝を自称した。梁に救援を求め、北魏と戦いつつ梁へ亡命した。梁の武帝・蕭衍によって東魏王に封じられるが、間もなく病没した。
元恪
483年-515年。北魏の第7代皇帝。宣武帝。拓跋宏の第2子。兄元恂の廃太子により立太子され、父拓跋宏の死後即位した。外戚の高肇の専横により、一族や高官の粛清が絶えなかった。在世中は梁、柔然への軍事行動が活発化した。熱心な仏教徒であった。在位16年。