拓跋什翼犍
publish: 2021-10-12, update: 2021-10-25
318年-376年。代の第10代王。拓跋鬱律の子。拓跋翳槐の弟。若年を後趙の人質として襄国、鄴で過ごした。在位は38年の長期にわたり、安定した治世は代の最盛期を作った。後趙、前燕の滅亡時はいずれも南進しなかった。前秦の攻勢が強まると病により諸族の統率が弱まり、拓跋斤に唆された拓跋寔君に殺害された。
関連
拓跋鬱律
?-321年。代の第4代王。拓跋弗の子。拓跋猗盧の死後、相続が混乱すると代王に擁立された。各地へ遠征し西は烏孫、東は勿吉を攻略し、鮮卑を北方最強たらしめた。前趙、後趙とも敵対し、前涼の朝貢を受け、東晋の爵位を拒絶した。拓跋猗㐌の妻・惟氏に殺害された。
拓跋猗㐌
267年-305年。鮮卑族の中部拓跋部の大人。拓跋沙漠汗の子。叔父の拓跋禄官が拓跋部を三分割すると中部を統治した。北方の諸族を攻略したほか、西晋と結んで勃興した前趙と戦った。大柄で馬が潰れるため牛車に乗っていた。
拓跋猗盧
?-316年。代の初代王。拓跋沙漠汗の子。鮮卑拓跋部。分割されていた拓跋部を再統一した。并州刺史の司馬騰や劉琨に協力して、一貫して前趙と戦った。司馬鄴により代王に封じられた。後に後継問題を起こし、長子の拓跋六脩に殺された。在位1年、