蕭方智
publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03
543年-558年。字は慧相。梁の第5、第7代皇帝。敬帝。蕭繹の第9子。西魏の侵攻を受けて江陵が陥落し父蕭繹が敗死すると、王僧弁、陳霸先らに擁立されて皇帝に即位した。北斉が後援した蕭淵明に帝位を譲るが、陳霸先に復位させられ、陳霸先に禅譲したのち殺害された。
関連
蕭棟
?-552年。字は元吉。梁の第3代皇帝。豫章王。蕭歓の子。蕭衍の曾孫、蕭統の孫。侯景の乱の中、蕭綱を廃した侯景に擁立されて皇帝に即位するが、3か月後には侯景に禅譲を迫られた。侯景を滅ぼした蕭繹に救出されるが、蕭繹の意で殺害された。
朱异
483年-549年。字は彦和。寒門の出身で、蕭衍の貴族制度改革によって台頭した恩倖の代表格。侯景の降伏受入を薦め、一方では東魏との和平を薦めたため、侯景の乱のきっかけを作った。有能ではあったが私心が多く、梁の国政を傾けるに至った。平家物語には奸臣として載る。
王僧弁
?-555年。字は君才。王神念の子。父の代に北魏から梁へ亡命した。蕭繹に仕えて竟陵郡太守となった。侯景の乱では、蕭誉を討伐し、次いで陳霸先と協力して建康の奪還に成功した。蕭繹が江陵で敗死すると、帝位の正統を廻って陳霸先と対立し、陳霸先に殺害された。