蕭綱
publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03
503年-551年。字は叔達。梁の第2代皇帝。簡文帝。蕭衍の第3子。兄蕭統の死後立太子された。蕭衍の死後、侯景の監視下のもと皇帝に即位した。侯景の傀儡であったが、侯景政権を認めない諸王の反抗に遭った侯景の保身により廃位され殺害された。在位2年。
関連
陸倕
470年-526年。字は佐公。呉郡呉県の人。陸慧曉の子。若くして文章を得意とし、蕭子良の西低に加わった。同じく文章を得意とした任昉と懇意であり共に研鑽した。諸王の属官を転々と務めて後に揚州大中正などを務めた。人付き合いを避けて読書に没頭し暗記力に優れた。
羊侃
495年-549年。字は祖忻。羊祉の子。もとは北魏の武官であったが、梁に亡命した。侯景の降伏に反対するも受け入れられなかった。侯景の乱では建康防衛の指揮を執り、数カ月にわたって籠城した。建康防衛の最中に病没し、間もなく建康の台城は陥落した。
陳慶之
484年-539年。字は子雲。斉代から蕭衍に仕え、梁が建つと武功を重ねて昇進した。北魏の北海王・元顥を擁して北伐し洛陽を占領した。爾朱栄の反攻により洛陽を追われるが、その後も北魏戦線を支えた。武芸には疎かったが指揮官として非凡で、身に纏った白袍を畏怖された。病没。