蕭昭文
publish: 2021-08-09, update: 2021-10-25
480年-494年。字は季尚。蕭斉の第4代皇帝。海陵王。蕭賾の子蕭長懋の第2子。兄蕭昭業が殺害されると蕭鸞に擁立され皇帝に即位した。しかし実体は蕭鸞の傀儡であり、皇太后王宝明の勅令を引き出した蕭鸞によって、廃位、殺害された。在位2か月。
関連
王融
467年-493年。字は元長。名門貴族である琅邪王氏の出身。王道琰の子。竟陵八友の一人。蕭賾の死後、蕭子良を擁立するが、蕭子良に即位の意思はなく、蕭鸞が蕭昭業を奉じて強く反対したため、蕭昭業の即位の後、逮捕され、ほどなく自殺を命じられた。
蕭懿
?-500年。字は元達。蕭順之の子。蕭衍の兄。斉宗室の族類。各州の諸軍事、刺史を歴任した。時は蕭宝巻の乱世で、裴叔業、崔慧景の反乱を次々と鎮撫した。蕭宝巻へ忠誠的であったが、独立、謀反を勧める周囲の動きも多く、讒言を信じた蕭宝巻に死を命じられた。
裴叔業
438年-500年。裴順宗の子。裴潜の弟・裴徽の末裔。宋の時代に軍人として累進し、蕭道成の配下となった。蕭鸞と親しく信任されて北魏戦線を転戦したが、その死後、反乱を疑われて崔慧景、蕭懿らの討伐を受けた。北魏に救援を求めるも、間もなく病没した。