蕭荘
publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03
548年-578年。梁の第8代皇帝。永嘉王。蕭繹の子蕭方等の子。人質として北斉に送られたが、前代の蕭方智が陳霸先に禅譲したとき、北斉の支援を受けて帰還、梁の再興を図る王琳により皇帝に擁立された。陳、北周と交戦するが王琳の敗死により北斉へ亡命した。北斉の滅亡後に病死。
関連
李賁
503年-548年。万春の初代皇帝。俚族の出身。梁後期の過酷な政治によって交州が乱れると、挙兵して交州、徳州(ベトナム北部)を支配し万春を建国した。陳霸先らの強い圧迫をうけて度重なる敗北を喫した。逃亡先の屈獠洞の蛮族によって殺害された。在位4年。
蕭繹
508年-555年。字は世誠。梁の第4代皇帝。元帝。蕭衍の第7子。侯景の乱による新政権を認めず、同時期に反乱を起こした諸王の一人となった。侯景の乱を終息させ江陵にて皇帝に即位した。蜀に割拠した蕭紀を西魏に攻撃させたため蜀を失陥した。西魏の後援を受けた蕭詧に殺害された。
朱异
483年-549年。字は彦和。寒門の出身で、蕭衍の貴族制度改革によって台頭した恩倖の代表格。侯景の降伏受入を薦め、一方では東魏との和平を薦めたため、侯景の乱のきっかけを作った。有能ではあったが私心が多く、梁の国政を傾けるに至った。平家物語には奸臣として載る。