姚泓 ( ようこう )

publish: 2021-10-26, update: 2021-10-28

王朝

章節

hongi

388年-417年。字は元子。後秦の第3代皇帝。末主。姚興の第1子。弟の姚弼と後継争いのすえ帝位を継ぐが、その後も一族の造反が絶えず、夏や東晋の圧力の前に後秦は一気に衰退した。東晋の王鎮悪の攻撃に降伏し、建康にて処刑された。在位1年。

関連

姚興

366年-416年。字は子略。後秦の第2代皇帝。文桓帝。姚萇の子。前秦の残党を滅ぼし関中一帯を統一した。一時は西秦、南涼、北涼、西涼、後蜀を属国としたが、西秦や夏の独立、北魏の圧迫によって国威は徐々に衰退した。在位22年。熱心な仏教徒であった。

姚弋仲

279年-352年。羌の首長。姚柯迴の子。南安郡赤亭県の人。前趙および、後趙に帰属し部族を維持した。石虎の代に河北の清河郡へ移住した。石虎の死後、後趙が混乱すると冉閔や苻洪と戦った。後趙が滅亡すると東晋への臣従を図ったが、まもなく病没した。胡人で天子となった者はいないと言葉を残した。

姚襄

331年-357年。字は景国。姚弋仲の子。姚萇の兄。父の死後、前秦と戦いつつ河北を南下した。淮南に駐屯して東晋の藩屏を成したが、東晋の揚州刺史・殷浩と対立し前燕へ帰順した。許昌、洛陽、平陽と徐々に西進し、関中の攻略を目論んだが、苻黄眉らに敗北し処刑された。
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