元廓 ( げんかく )

publish: 2021-11-06, update: 2022-03-27

王朝

標籤

章節

hongi

537年-557年。西魏の第3代皇帝。恭帝。元宝炬の第4子。元欽が宇文泰に廃位されると代わりに擁立された。宇文泰が死去すると宇文護に譲位を迫られて禅譲した。宇文覚が皇帝に即位し北周を建てると宋公に封じられるが間もなく殺害された。在位2年。

関連

楊忠

507年-568年。小名は奴奴。弘農郡華陰県の人。弘農楊氏を称したが出自は武川鎮とされる。楊禎の子。隋の文帝・楊堅の父。体躯に恵まれて武芸に優れた。一時梁に抑留されたほか、独孤信とともに梁への亡命を経て西魏へ帰順した。宇文護からは遠ざけられたが官職を全うした。病没。

元育

?-555年。淮安王。字は僧会。北魏の高陽王・元雍の子。献文帝・拓跋弘の孫。孝武帝・元脩に従って関中に入った。西魏の使持節、大将軍、大都督を兼任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めたが、宇文泰による元欽廃位を止められなかった。

豆盧寧

500年-565年。字は永安。昌黎郡徒河県の人。豆盧萇の子。後燕の北地王・慕容精の玄孫。爾朱天光、侯莫陳悦に順に従い、侯莫陳悦が討たれると宇文泰に従った。身丈八尺、容姿に優れて騎射を得意としたという。功を挙げてなお宇文護の傀儡政権でも失脚せず、楚国公まで昇った。同州刺史として在地で病没。

Page(/hongi/535_西魏/3_557_元廓.md)