元欽
publish: 2021-11-06, update: 2021-11-06
525年-554年。西魏の第2代皇帝。廃帝。元宝炬の第1子。元宝炬の死後即位した。宇文泰の殺害を画策し、元育、元賛に諫められるも、露見して廃位された。宇文泰によって雍州に監禁されたのち殺害された。在位3年。
関連
楊忠
507年-568年。小名は奴奴。弘農郡華陰県の人。弘農楊氏を称したが出自は武川鎮とされる。楊禎の子。隋の文帝・楊堅の父。体躯に恵まれて武芸に優れた。一時梁に抑留されたほか、独孤信とともに梁への亡命を経て西魏へ帰順した。宇文護からは遠ざけられたが官職を全うした。病没。
侯莫陳順
?-557年。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。侯莫陳崇の兄。爾朱栄、次いで賀抜勝に従った。北魏末の反乱に従軍して栄転した。孝武帝・元脩に従って関中に入り、同郷の宇文泰から歓迎された。東魏戦線で活躍したほか、氐の反乱鎮圧では離間を行うなど知略にも優れた。
元賛
生没年不詳。広平王。元悌の子。北魏の広平王を継ぎ、驃騎大将軍、開府儀同三司となった。叔父にあたる孝武帝・元脩が関中に入るとこれに従った。元脩が宇文泰に殺害されると皇帝に擁立する動きがあった。司徒、太尉、司空を歴任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めた。