張寔
publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25
271年-320年。字は安遜。前涼の第2代君主。昭公。張軌の長男。西晋の驃騎将軍であったが、中央を辞して父が治める涼州へ帰還した。張軌の死後その地位を継ぐ。愍帝が降伏するにあたって司馬睿とともに後事を託された。邪教を信奉する配下に背かれ殺害された。
関連
張祚
?-355年。字は太伯。前涼の第7代君主。威王。張駿の庶長子。張重華の遺詔を隠匿し自らを張耀霊の後見とし権力を掌握する。後に位を簒奪し、王を称した。乱暴で政治を顧みず人心を失ったため、張瓘・宋混らの反乱を招き殺害された。
張茂
277年-324年。字は成遜。前涼の第3代君主。成公。張軌の次男。張寔殺害の主犯である劉弘らを処刑した。張寔の子である張駿を後嗣に指定して張寔の後を継いだ。前趙の西進を撃退しつつも前趙へ臣従し、硬軟織り交ぜて自立を保持した。病により死去。在位5年。
張駿
307年-346年。字は公庭。前涼の第4代君主。文公。張寔の子。張茂の跡を継ぐ。このとき前涼は東晋と前趙の両国に臣従していたが、前趙が後趙に対して劣勢になると前趙から受けた官爵を廃した。涼州・河州・沙州を定め前涼の最盛期を現出した。病により死去。在位22年。