張天錫
publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25
346年-406年。字は純嘏。前涼の第9代君主。悼公。張駿の末子。張邕が政治を壟断したおり武力をもって張邕を自殺に追い込んだ。まもなく張玄靚を殺害し位を奪った。前秦の攻撃を受けこれに降伏した。在位13年。淝水の戦いでは東晋に降伏し半生を建康で過ごした。
関連
張寔
271年-320年。字は安遜。前涼の第2代君主。昭公。張軌の長男。西晋の驃騎将軍であったが、中央を辞して父が治める涼州へ帰還した。張軌の死後その地位を継ぐ。愍帝が降伏するにあたって司馬睿とともに後事を託された。邪教を信奉する配下に背かれ殺害された。
張軌
255年-314年。字は士彦。前涼の創建者。武公。八王の乱により中央が乱れると涼州刺史を望んで赴任した。涼州に独自の勢力を築いたが一貫して西晋への臣従を貫いた。洛陽失陥以後、前趙の首都平陽の攻略の計画するが実行されなかった。病のため死去。
張瓘
?-359年。宗族だが系譜は不明。張駿の代に、寧戎校尉、河州刺史を歴任して強勢を作った。張祚討伐のための挙兵を成功させ、張玄靚の輔弼の筆頭となった。宋混を恐れて誅殺しようとしたが、事前に察知した宋混の攻撃を受け、自害した。猜疑心が強く、苛虐であった。