張玄靚
publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25
350年-363年。字は元安。前涼の第8代君主。沖公。張重華の末子。張祚が殺害されると宋混らに擁立される。幼年で跡を継いだため張瓘、宋混、張邕、張天錫と摂政を巡って権臣たちの勢力争いが続いた。最後は張天錫によって殺害された。在位9年。
関連
張邕
?-361年。前涼の右司馬。幼い張玄靚を輔弼したが、やがて宋混が亡くなると、宋澄一族を誅殺して朝廷を壟断した。政治を乱したため、前涼の衰退を加速させた。張天錫と争い、進退に極まり自害した。一族は誅殺された。傲慢な人物と評が残る。
張駿
307年-346年。字は公庭。前涼の第4代君主。文公。張寔の子。張茂の跡を継ぐ。このとき前涼は東晋と前趙の両国に臣従していたが、前趙が後趙に対して劣勢になると前趙から受けた官爵を廃した。涼州・河州・沙州を定め前涼の最盛期を現出した。病により死去。在位22年。
張耀霊
343年-355年。字は元舒。前涼の第6代君主。哀公。張重華の次男。張重華が病を患うと10歳で世子に立てられる。張重華は謝艾に後見を任せようとしたが、遺詔は捏造され張祚に摂政が委ねられた。幼年を理由に張祚に廃され復位の兆しが出ると殺害された。