張祚
publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25
?-355年。字は太伯。前涼の第7代君主。威王。張駿の庶長子。張重華の遺詔を隠匿し自らを張耀霊の後見とし権力を掌握する。後に位を簒奪し、王を称した。乱暴で政治を顧みず人心を失ったため、張瓘・宋混らの反乱を招き殺害された。
関連
張瓘
?-359年。宗族だが系譜は不明。張駿の代に、寧戎校尉、河州刺史を歴任して強勢を作った。張祚討伐のための挙兵を成功させ、張玄靚の輔弼の筆頭となった。宋混を恐れて誅殺しようとしたが、事前に察知した宋混の攻撃を受け、自害した。猜疑心が強く、苛虐であった。
張茂
277年-324年。字は成遜。前涼の第3代君主。成公。張軌の次男。張寔殺害の主犯である劉弘らを処刑した。張寔の子である張駿を後嗣に指定して張寔の後を継いだ。前趙の西進を撃退しつつも前趙へ臣従し、硬軟織り交ぜて自立を保持した。病により死去。在位5年。
張天錫
346年-406年。字は純嘏。前涼の第9代君主。悼公。張駿の末子。張邕が政治を壟断したおり武力をもって張邕を自殺に追い込んだ。まもなく張玄靚を殺害し位を奪った。前秦の攻撃を受けこれに降伏した。在位13年。淝水の戦いでは東晋に降伏し半生を建康で過ごした。