岑彭 ( しんほう )

publish: 2021-08-12, update: 2021-10-25

王朝

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?-35年。字は君然。南陽郡棘陽県の人。王莽政権下で棘陽県令を務め、南陽太守の甄阜と共に劉玄、劉縯と戦った。降伏すると義士と評され劉縯に従った。劉縯の死後は朱鮪の属官を経て潁川太守となった。劉秀の攻略に降り朱鮪を説いた。蜀攻略では水軍を率いたが、公孫述の刺客に殺害された。征南大将軍、舞陽侯。

関連

王覇

?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。

閻顕

?-125年。河南郡滎陽県の人。閻暢の子。妹を安帝・劉祜の皇后とし、鄧氏一族の没落後は、兄弟揃って重用された。劉祜の死後、劉懿を擁立し外戚としての地位を固めるかに思われたが、劉懿が僅か数百日で没したため叶わず、孫程らの政変が起きると投獄された。順帝・劉保が即位すると処刑された。

李忠

?-43年。字は仲都。東萊郡黄県の人。もと高密国の郎。王莽政権では信都郡の尉、劉玄政権では信都郡の都尉を拝命した。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。龐萌、董憲の討伐に加わり、後に江南に移って広く開墾した。略奪を行わない厳正さと、激しい忠義を持った。豫章太守、中水侯。
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