陳俊 ( ちんしゅん )

publish: 2021-08-16, update: 2021-10-25

王朝

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?-47年。字は子昭。南陽郡西鄂県の人。劉嘉の長史となったが、劉嘉の薦めで劉秀の安集掾となった。各地の農民反乱の鎮圧に働いたほか、董憲や張歩を討伐した。泰山太守、琅邪太守として山東の鎮撫に大きく貢献した。琅邪太守、祝阿侯。

関連

孫程

?-132年。字は稚卿。涿郡北新城県の人。安帝の治世に宦官として中黄門となった。劉祜、劉懿が相次いで没すると、廃太子されていた劉保の復権に動き、閻顕が諸王子を召喚したのを機に、王康らと共に江京、劉安、陳達を斬って政変を成した。浮陽侯となり養子への相続が認められた。病没。

閻顕

?-125年。河南郡滎陽県の人。閻暢の子。妹を安帝・劉祜の皇后とし、鄧氏一族の没落後は、兄弟揃って重用された。劉祜の死後、劉懿を擁立し外戚としての地位を固めるかに思われたが、劉懿が僅か数百日で没したため叶わず、孫程らの政変が起きると投獄された。順帝・劉保が即位すると処刑された。

徐栄

?-192年。幽州玄菟郡の人。字や出自は明らかでない。董卓に従って中郎将となった。曹操、鮑信、孫堅らと戦って勝利を重ね、董卓の軍事面を大いに支えた。董卓の死後は王允に従い、長安を攻める李傕、郭汜らを迎撃したが、胡軫、楊定らに裏切られ戦死した。

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