陳慶之
publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03
484年-539年。字は子雲。斉代から蕭衍に仕え、梁が建つと武功を重ねて昇進した。北魏の北海王・元顥を擁して北伐し洛陽を占領した。爾朱栄の反攻により洛陽を追われるが、その後も北魏戦線を支えた。武芸には疎かったが指揮官として非凡で、身に纏った白袍を畏怖された。病没。
関連
王僧弁
?-555年。字は君才。王神念の子。父の代に北魏から梁へ亡命した。蕭繹に仕えて竟陵郡太守となった。侯景の乱では、蕭誉を討伐し、次いで陳霸先と協力して建康の奪還に成功した。蕭繹が江陵で敗死すると、帝位の正統を廻って陳霸先と対立し、陳霸先に殺害された。
蕭琛
480年-531年。字は彦瑜。南蘭陵郡蘭陵県の人。蕭恵訓の子。若くして才能を発露させ一族の蕭恵開は我が一族を興すだろうと評した。太学博士から昇進を重ねて度重なる政変でも官職を維持し、蕭衍からは宗老と敬慕された。侍中・特進・金紫光禄大夫まで昇る。
李賁
503年-548年。万春の初代皇帝。俚族の出身。梁後期の過酷な政治によって交州が乱れると、挙兵して交州、徳州(ベトナム北部)を支配し万春を建国した。陳霸先らの強い圧迫をうけて度重なる敗北を喫した。逃亡先の屈獠洞の蛮族によって殺害された。在位4年。