杜茂 ( とも )

publish: 2021-08-18, update: 2021-10-25

王朝

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? - 43年。字は諸公。南陽郡冠軍県の人。劉秀が河北を攻略するなか合流した。北方に割拠した盧芳の対応に当たり、馬成が後任するまで長らく匈奴の侵入に備えた。横領、殺人教唆で免官、減俸を受けた。驃騎大将軍、参蘧侯。

関連

袁紹

?-202年。字は本初。汝南郡汝陽県の人。何進の属官となって以後、昇進して西園八校尉など務めた。何進の死後、宦官を排斥し、董卓と対立すると冀州を拠点に群雄として割拠した。河北四州を統べて一大勢力を築くが、官渡の戦いで曹操に敗北して以降は衰退した。勢力回復に奔走するなか病没した。

朱祜

?-48年。字は仲先。南陽郡宛県の人。母方の実家を復陽の劉氏とし、劉秀、劉縯と親交を結んだ。劉秀配下の最古参。長安留学中は劉秀と共に薬を売って学費とした話が残る。儒学に詳しくその性格は質朴で正直だった。輝かしい武功こそ欠けるが、その人格を劉秀に愛された。建義大将軍、鬲侯。

袁術

155年-199年。字は公路。汝南郡汝陽県の人。袁逢の子。名門出身で孝廉を経て河南尹など務めた。何進の暗殺を機に宦官を誅殺するが、董卓が入朝すると禍を恐れて南陽を実効支配した。曹操らと争って拠点を寿春へ移し、皇帝に即位して国号を仲とした。失政と外患により国威は失せ、病死した。

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