杜預
publish: 2021-04-21, update: 2021-12-06
222年-284年。字は元凱。杜畿の孫、杜恕の子。前漢の御史大夫・杜周の末裔。蜀、呉の討伐に深く関わった。政策に無駄がなく杜武庫の異名をとった。破竹の勢いの語源を残した。春秋左氏伝を研究した学者でもある。武廟六十四将の一人。詩聖・杜甫は末裔に当たる。
書くべきことが多すぎて逆に表現しづらい超スペック偉人。
杜預が注釈した『春秋左氏伝』およびその底本となった『春秋』について補足する。 そもそも『春秋』とは、春秋時代の歴史を記した編年体の歴史書である。 春秋時代と言う時代名称そのものが、この歴史書の書名に由来する。 この『春秋』は出来事を年別に羅列したものだが、その内容は恐ろしく簡潔なものであった。 例えば、以下のような記事がある。
夏五月鄭伯克叚于鄢
これを翻訳するならば、以下のようになる。
夏の五月、鄭伯が鄢で段に勝利した。
事跡は確かに分かる。しかし、これだけではその背景が全く分からない。 年別に羅列した記事であるから、文章として前後に文脈があるわけではない。 つまり、この出来事に関する説明は、この簡潔な記事、一文によってのみ成されているのである。
そこで、『春秋』を読む識者は、漢字の意味を深く掘り下げることで出来事を詳細化しようとした。 例えば、上記翻訳の勝利に対する原文は「克」である。 克には、「勝つ」のほかに「耐え忍ぶ」「打ち克つ」の意味がある。 そこで、記述された勝利は、単なる国家間の戦争の帰結ではなく、何か背景があるために「克」なる漢字が選ばれたのだ、という意味付けがなされた。 詳しい意味はここでは説明しないが、要は行間を読んで筆者の真意をくみとるように、文字そのものの意義を解し、いわば字間を読むのである。
『春秋』の著者は定かではない。 しかし、一般に孔子が制作に関わっていたという伝説が残る。 上記のような、一見して穿った記事の読み方は、孔子が何らかの思想を盛り込んだ結果であるという推測によるものである。 この前提を「春秋の筆法」と呼ぶ。 このため、『春秋』は単なる歴史書には収まらず、孔子の含蓄ある思想書と見なされ、「伝」と呼ばれる多くの注釈本が出た。 このうち、継承された有名な三つの伝を春秋三伝と呼び、『春秋左氏伝』はその一つにあたる。 伝によって『春秋』の解釈や主張が異なるため、『春秋』から孔子の教義を読み取ろうとして「春秋学」なる一学問すら成した。 これは『春秋』を土台にして、自らの思想を主張することに他ならない。
杜預は春秋を専攻し、『春秋左氏伝』に不満を持ったがゆえに注釈を加えることで、『春秋経伝集解』を著した。 これは、精密な作業と一貫した思想の下、『春秋左氏伝』に新しい風をいれたもので、後世の春秋学に大きな影響を残した。 『春秋経伝集解』は、完全な形で現存する『春秋左氏伝』の最古の注釈本であり、これは散逸したであろう同時代の伝と比較していかに優れていたかの証左である。
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生没年不詳。字は叔重。汝南郡召陵県の人。汝南郡の属官を経て、孝廉をもって中央に出仕し洨県県令、太尉南閤祭酒など務めた。経書を広く学んで五経無双と称された古文経学の大家。漢字の原理を六種類に分類する六書の説明は、著書『説文解字』が最古である。