傅亮 ( ふりょう )

publish: 2021-08-08, update: 2021-10-25

王朝

章節

retsuden

374年-426年。字は季友。北地郡霊州県の人。傅玄の来孫。傅瑗の子。東晋の時代に劉裕政権の下で昇進を重ねた。宋が建つと侍中、中書令を歴任した。建国の功臣として建城県公に封じられた。劉義符の廃位に関わり劉義隆を迎えたが、劉義符殺害の罪を問われ処刑された。

関連

顔延之

384年-456年。字は延年。琅邪郡臨沂県の人。顔顕の子。名門だったが父を早くに亡くし没落した。書物に通じたが、酒癖が悪く、長らく独身だった。晩年の陶潜と交際し、その死を悼んだ。朝廷の権力闘争の中で常に警戒され、数度の左遷と長い謹慎を経た。晩年は、秘書監、光禄勲、太常を歴任した。

劉子業

449年-466年。劉宋の第5代皇帝。前廃帝。劉駿の第1子。劉駿の死後即位した。性は残虐であり、劉義恭、柳元景、顔師伯、劉子鸞、何邁、沈慶之ら一族、重臣を次々と粛清し人望を失った。劉彧の側近である阮佃夫の襲撃を受けて殺害された。在位2年。

謝霊運

385年-433年。字は宣明。陳郡陽夏県の人。謝瑍の子。謝玄の孫。東晋の康楽公を継いだが、宋では侯に降格された。永嘉郡太守、秘書監、侍中を務めながらも度々辞職し詩作に没頭した。隠遁しつつも生活は豪勢で、騒乱の罪を得て広州に流刑された。道中、脱走の容疑で処刑された。

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