蓋延
publish: 2021-08-15, update: 2021-10-25
?-39年。字は巨卿。漁陽郡要陽県の人。身長八尺、三百斤の強弓を引いた肉体の持ち主。漁陽太守・彭寵の下で営尉、護軍都尉を兼任した。彭寵とともに劉秀に従い偏将軍、列侯となった。将軍職の上位にあり多くの遠征を指揮した一方で、血気盛んで非法が多かった。虎牙大将軍、安平侯。
当時の度量衡で八尺は184cm、三百斤は66kgにあたる。
関連
馮異
?-34年。字は公孫。潁川郡父城県の人。王莽政権下で潁川太守を務め、潁川郡を攻略する劉秀に降伏した。優れた戦略家であり、各地を転戦して負けることがなかった。功績を誇らない姿を大樹将軍と称賛された。河北で劉秀一行が逃避行したとき、豆粥や麦飯を調達したため、劉秀はこれを生涯忘れなかった。征西大将軍、陽夏侯。
竇憲
?-92年。字は伯度。扶風平陵県の人。竇勛の子。竇融の曾孫。妹を劉炟の皇后として外戚となった。妹の寵臣・劉暢を暗殺して逮捕された。刑務として北匈奴討伐を行い大いに成果を得たため大将軍として朝廷に君臨した。帝位簒奪を目論むが、察知した劉肇に賜死を受けた。
何進
?-189年。字は遂高。南陽郡宛県の人。何真の子。屠殺業を営む家に生まれたが、妹が後宮に入ったため、潁川太守、侍中、河南尹など歴任し大将軍まで昇った。黄巾の乱を鎮圧したが、後継争いから宦官と激しく対立し各地の軍閥を召集して後の混乱を招いた。参内したところを張譲によって殺害された。