葛栄 ( かつえい )

publish: 2021-08-07, update: 2021-10-25

王朝

章節

retsuden

?-528年。懐朔鎮の鎮将。六鎮の乱に際して定州を拠点に反乱した鮮于修礼に従い、鮮于修礼の死後はその反乱軍を掌握した。柔玄鎮の杜洛周らを併呑して強勢を誇ったが、高歓らの離脱と重なって爾朱栄に敗北し、捕らわれて処刑された。六鎮の乱における組織立った最後の指導者。

関連

拓跋宏

467年-499年。北魏の第6代皇帝。孝文帝。拓跋弘の第1子。父拓跋弘の譲位により即位する。馮太后による垂簾聴政により北魏を最盛に導いた。拓跋から元への改姓、平城から洛陽への遷都、九品官人法の部分導入など、漢化と中央集権化を通して胡漢融合を促進した。在位28年。

元愉

487年(以前)-508年。字は宣徳。京兆王。拓跋宏の子。徐州刺史を務め中書監となる。違法な徴収を行い杖罰を受け、冀州刺史に転出した。弟・元懐との対抗意識が強く、冀州にて反乱を起こし皇帝を称した。李平の討伐を受けると連敗して捕縛された。洛陽へ送還中に野王にて死去。高肇に殺されたとも。子は助命され、後に皇籍に戻された。

楊逸

500年-531年。字は遵道。弘農郡華陰県の人。楊津の子。河陰の変では爾朱栄に従い、孝荘帝・元子攸を河陽に迎えた。元子攸が爾朱栄を粛清すると活路を一族で協議したが、爾朱仲遠の使者により殺害された。行政に優れてその慧眼を千里眼と畏敬され、成語としての千里眼の語源となった。
Page(/retsuden/386_北魏/528_葛栄.md)