斛斯椿
publish: 2021-08-07, update: 2021-10-25
495年-537年。字は法寿。斛斯敦の子。爾朱栄の配下として転戦して爾朱氏から信任を得た。韓陵の戦いでは高歓を討つために戦うが、敗北後は寝返って爾朱彦伯、世隆兄弟を襲撃して殺害した。後に高歓に対して不安を抱き、保身から元脩と高歓の対立を煽った。西魏の重職を歴任して病没。
関連
元愉
487年(以前)-508年。字は宣徳。京兆王。拓跋宏の子。徐州刺史を務め中書監となる。違法な徴収を行い杖罰を受け、冀州刺史に転出した。弟・元懐との対抗意識が強く、冀州にて反乱を起こし皇帝を称した。李平の討伐を受けると連敗して捕縛された。洛陽へ送還中に野王にて死去。高肇に殺されたとも。子は助命され、後に皇籍に戻された。
元朗
513年-532年。北魏の第12代皇帝。安定王、または後廃帝。拓跋濬の甥元彬の孫、元融の第3子。反爾朱氏を掲げて挙兵した高歓に擁立されて即位した。高歓が爾朱氏を滅ぼすと廃位された。安帝王に降格され同年、高歓によって殺害された。
拓跋濬
440年-465年。北魏の第4代皇帝。文成帝。拓跋燾の子拓跋晃の第1子。宗愛が拓跋燾、拓跋翰、拓跋余を相次いで弑逆すると、これに対抗した陸麗、劉尼、源賀によって擁立された。内政に力を注ぎ国力の拡充を図った。仏教弾圧を廃止し雲崗石窟を造営した。在位13年。