皇甫真
publish: 2021-07-29, update: 2022-02-07
生没年不詳。字は楚季。安定郡朝那県の人。慕容廆に招かれて出仕した。慕容皝の不興を買って一時は免官となるが、後に復職し文武両道を示した。増長する慕輿根を痛烈に批判し慕容恪へ誅殺を促した。司空、太尉などの高位を歴任したが凋落の大勢は変えられなかった。前燕滅亡後は前秦の奉車都尉に任じられた。病没。
関連
慕容評
生没年不詳。慕容廆の子。軍を率いては功を重ね、慕容恪とともに朝政を管掌した。しかし統治には暗く、慕容垂を政敵として離反させ、慕容恪の死後は政治が腐敗した。前秦の攻撃を受けて高句麗へ亡命したが捕縛、送還された。苻堅によって范陽郡太守に任じられ、任地にて没した。
悦綰
?-368年。鮮卑の人。慕容皝に服属した大人の一人。後趙の遠征を退けるなど一軍を率いて活躍した。并州刺史、尚書左僕射を歴任した。慕容評が悪政を行うと、上奏して多くの不正を摘発した。前秦の侵攻を前に病没するが、慕容評による暗殺の風聞も流れた。
王騰
?-356年。青州に割拠した段龕に仕えていたが、前燕の慕容恪の討伐を受けると降伏した。段龕を援けた東晋の徐州刺史・荀羨と戦うものの、荀羨の攻撃によって捕縛され処刑された。