堅鐔 ( けんたん )

publish: 2021-10-03, update: 2021-10-25

王朝

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retsuden

?-50年。字は子伋。潁川郡襄城県の人。劉秀が河北攻略中に推挙されて主簿となった。河北平定、洛陽攻略に功があった。萬脩とともに董訢を討伐すると鄧奉の反乱に遭い一年に渡って孤立したが、劉秀の親征まで任地を死守した。左曹、合肥侯。

関連

景丹

?-26年。字は孫卿。馮翊櫟陽県の人。王莽の頃、上谷郡の吏を務め、劉玄の即位に伴って上谷郡の長史となった。劉秀に従うと偏将軍、奉義侯となり河北平定で大きな功を成した。呉漢に次ぐ軍権を持った。蘇況の討伐を病を押して遂行し、そのまま没した。驃騎大将軍、櫟陽侯。

劉協

181年-234年。献帝。後漢の第14代皇帝。劉宏の子。劉弁の異母弟。董卓に擁立されて即位したが、以降、時の権力者の正統性の道具としてのみ機能し後漢王朝は実質消失した。曹丕が魏王を襲爵すると、世論の圧力により帝位を曹丕へ禅譲した。山陽公。

張芝

?-192年。字は伯英。敦煌郡淵泉県の人。張奐の子。崔瑗、杜度に師事して書を学び、草書に優れて草聖のひとりに数えられる。書道の別名である「臨池」とは、書に没頭するあまり庭の池が常に真っ黒であったことに由来する。生前から評価され鍾繇とともに王羲之以前における書の大家であった。
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