李遠 ( りえん )

publish: 2022-02-13, update: 2022-02-15

王朝

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507年-557年。字は万歳。李文保の子。李賢の弟。李穆の兄。鮮卑拓跋部を出自とするが隴西李氏を称した。爾朱天光、次いで侯莫陳崇の下で従軍し、宇文泰から厚遇されるようになった。宇文泰の側近として昇進を重ね、後嗣問題では宇文覚を支持した。宇文護の専断に反発して子の李植と共に処刑された。

関連

宇文泰

505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。

豆盧寧

500年-565年。字は永安。昌黎郡徒河県の人。豆盧萇の子。後燕の北地王・慕容精の玄孫。爾朱天光、侯莫陳悦に順に従い、侯莫陳悦が討たれると宇文泰に従った。身丈八尺、容姿に優れて騎射を得意としたという。功を挙げてなお宇文護の傀儡政権でも失脚せず、楚国公まで昇った。同州刺史として在地で病没。

独孤信

502年-557年。字は期弥頭。本名は如願。匈奴の出自。雲中郡の人。独孤庫者の子。六鎮の乱で活躍し爾朱栄の配下となった。宇文泰の信任を得て西魏の重鎮となった。北周成立時に実権を掌握する宇文護の暗殺を計画し賜死を受けた。娘がそれぞれ北周、隋、唐の皇后として嫁いだ。容姿が美しく独孤郎の異名をとった。
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