馬成
publish: 2021-08-16, update: 2021-10-25
?-56年。字は君遷。南陽郡棘陽県の人。劉秀が潁川を攻略したころ、安集掾、郟県県令代行となった。北方の守備に長け、并州から幽州にかけて防壁、櫓などを建設した。中央に召還されたときには北方への復職を望む嘆願があり中山太守となった。中山太守、全椒侯。
関連
任光
?-29年。字は伯卿。南陽郡宛県の人。宛の吏人であり劉玄の挙兵による混乱で殺されそうになるが、劉賜に助けられ従った。信都郡太守となり、王郎が挙兵した際その使者を斬って李忠、萬脩とともに立て籠った。薊県から逃れた劉秀を迎え河北攻略の拠点となった。信都太守、阿陵侯。
閻顕
?-125年。河南郡滎陽県の人。閻暢の子。妹を安帝・劉祜の皇后とし、鄧氏一族の没落後は、兄弟揃って重用された。劉祜の死後、劉懿を擁立し外戚としての地位を固めるかに思われたが、劉懿が僅か数百日で没したため叶わず、孫程らの政変が起きると投獄された。順帝・劉保が即位すると処刑された。
劉保
115年-144年。順帝。後漢の第8代皇帝。劉祜の子。閻氏らによって廃嫡されていたが、孫程が閻氏らを排除すると擁立されて即位した。宦官の封爵、家督相続を認め、宦官の政治参加を促進した。賢臣を集め、外戚・梁氏の献身を得たが、梁冀への権力集中が高まると、その掣肘が成されるまま没した。