孟宗 ( もうそう )

publish: 2021-08-06, update: 2021-10-25

王朝

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retsuden

?-271年。字は恭武。江夏郡の人。李粛に学問を学び、朱拠の属官となった。呉県令を務める間に母を亡くした。職務を放棄して喪に服したため、処刑されそうになるが陸遜の助命により減刑された。孫亮の廃位に関わり、司空まで昇った。母に筍を食べさせた逸話から孟宗竹の語源となった。

孫皓の字の元宗を避諱して孟仁とも呼ばれる。

関連

王祥

185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。

陸抗

226年-274年。字は幼節。呉郡呉県の人。陸遜の子。母は孫策の娘、妻は張承の娘で諸葛恪の姪。陸遜が死去すると建業に赴き父の生前の疑惑を解いた。後に孫権から陸遜の冤罪について謝罪を受けた。荊州に駐屯し羊祜と鎬を削ったほか、個人的な親交を結んで羊陸之交の故事成語を残した。大司馬、荊州牧まで昇る。
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