任光 ( じんこう )

publish: 2021-10-04, update: 2021-10-25

王朝

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?-29年。字は伯卿。南陽郡宛県の人。宛の吏人であり劉玄の挙兵による混乱で殺されそうになるが、劉賜に助けられ従った。信都郡太守となり、王郎が挙兵した際その使者を斬って李忠、萬脩とともに立て籠った。薊県から逃れた劉秀を迎え河北攻略の拠点となった。信都太守、阿陵侯。

関連

劉表

142年-208年。字は景升。山陽郡高平県の人。前漢の魯恭王劉余の末裔。太学で儒学に精通し八及と称された。張倹の逃亡を幇助して自らも追われたが、党錮の禁が解かれると復職して荊州刺史を務めた。荊州を発展させ群雄の一人として割拠したが、曹操の南進の直前に病没した。

梁冀

?-159年。字は伯卓。安定郡烏氏県の人。梁商の子。酒と遊びを好み学問に疎かったが、二人の妹を皇后としたため、侍中、執金吾、河南尹などを歴任し父の死後は大将軍を継いだ。性は傲慢、強欲であり朝政を壟断し質帝・劉纘から跋扈将軍と揶揄された。皇帝の弑逆など数々の悪事が残る。桓帝と謀った単超らに逮捕され自害した。

袁紹

?-202年。字は本初。汝南郡汝陽県の人。何進の属官となって以後、昇進して西園八校尉など務めた。何進の死後、宦官を排斥し、董卓と対立すると冀州を拠点に群雄として割拠した。河北四州を統べて一大勢力を築くが、官渡の戦いで曹操に敗北して以降は衰退した。勢力回復に奔走するなか病没した。

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