沈攸之
publish: 2021-08-09, update: 2021-10-25
?-478年。字は仲達。呉興郡武康県の人。沈叔仁の子。若くして父を亡くし困窮した。元嘉の治が終わるころ、北魏の外患に備えるため徴兵された。劉駿以来4代に仕えて車騎大将軍、開府儀同三司まで昇った。劉昱が廃位されると挙兵して反乱したが、離反が相次ぎ華容にて横死した。
関連
檀道済
?-436年。劉裕に仕えて、桓玄の乱や北伐を転戦して宋朝建国の功臣となった。劉義符の廃位に加担するもその後の罪を逃れた。のちに北伐を行い、対北魏戦線の要として軍の最高職を務めたが、勢威を恐れた劉義隆に殺害された。『三十六計』の著者。
劉子業
449年-466年。劉宋の第5代皇帝。前廃帝。劉駿の第1子。劉駿の死後即位した。性は残虐であり、劉義恭、柳元景、顔師伯、劉子鸞、何邁、沈慶之ら一族、重臣を次々と粛清し人望を失った。劉彧の側近である阮佃夫の襲撃を受けて殺害された。在位2年。
劉裕
363年-422年。字は徳輿。劉宋の初代皇帝。武帝。劉翹の子。劉牢之に従い軍功を重ねた。劉牢之が失脚すると桓玄に属したが、桓玄が司馬徳宗を廃して皇帝を自称すると、劉毅・諸葛長民らと反乱した。桓玄を討って司馬徳宗を復位させるが、後に自ら皇帝となり宋を建国した。在位2年。