沈約
publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03
441年-513年。字は休文。沈璞の子。竟陵八友の一人。幼少期に父・沈璞を劉俊に殺害された経緯がある。宋、斉、梁の3朝に仕官した。蕭子良に招かれて文学サロンを興隆せしめた。梁の尚書令となるが、晩年は蕭衍の不興を買って、不遇の中病没した。宋書、晋書、斉紀を編纂した。
関連
蕭正徳
?-549年。字は公和。臨賀王。蕭宏の第3子。蕭衍の甥にあたり一時は蕭衍の養子とされたが、後に蕭統が生まれると後継から外された。侯景と通じて建康を陥落させた。侯景に擁立されて皇帝を称するが、すぐに侯景に廃された。鄱陽王・蕭範に内通するが露見して侯景に殺害された。
蕭衍
464年-549年。字は叔達。梁の初代皇帝。武帝。蕭順之の子。父蕭順之は蕭道成の三従弟にあたる。蕭宝巻の暴政により兄蕭懿が粛清されると、蕭宝融を擁立して挙兵し蕭宝融から禅譲を受けた。在位47年の大半は安定したが、晩年は侯景の乱により大混乱に陥り侯景に幽閉され病没した。
庾信
513年-581年。字は子山。庾肩吾の子。徐摛、徐陵親子と共に詩文に長けて、その詩は徐庾体と称された。侯景の乱が起こると江陵へ逃げるが、西魏の攻撃で江陵が陥落すると、多くの官民と共に長安へ拉致された。長安に抑留されつつも文人として活躍し、江南を哀惜する名作を残した。