釈道安 ( しゃくどうあん )

publish: 2021-08-19, update: 2021-10-25

王朝

特質

僧侶

章節

retsuden

314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。

当時の仏教は、古来の思想や価値観に当てはめて解釈するのが主流であったが(これを格義仏教という)、釈道安は仏教本来の用語や概念によって解釈されなければならないと主張し、後世の仏教に大きな修正をもたらした。

関連

司馬睿

276年-323年。字は景文。東晋の初代皇帝。元帝。司馬懿の曾孫、司馬伷の孫。父司馬覲が死去すると琅邪王を継ぐ。鄴で司馬穎の監視下に置かれたが脱出して琅邪に帰還した。王導の献策に従い建業へ移った。愍帝が殺害されると皇帝に即位した。五馬王の筆頭。病没。在位6年。

司馬道子

364年-403年。字は道子。第8代皇帝・司馬昱の子。琅邪王、次いで会稽王。司馬曜からの信任が厚く、謝安を左遷させると中央の要職を掌握した。やがて酒におぼれて無頓着となり、王国宝と共に朝廷を恣縦した。王恭、桓玄らが反乱すると子に実権を委ねて事態を収拾させた。司馬元顕が失脚すると捕縛、毒殺された。

紀瞻

253年-324年。字は思遠。紀陟の子。顧栄や周玘らと共に陳敏の反乱を鎮圧した。江南に駐屯した司馬睿に仕え、王導と共に司馬睿の皇帝即位を推進した。司馬紹から社稷の臣と評され、爵位は臨湘県侯、官職は散騎常侍、驃騎将軍まで昇る。病没。五儁の一人。

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