司馬子如
publish: 2021-11-03, update: 2021-11-03
489年-553年。字は遵業。司馬興龍の子。西晋の南陽王・司馬模の末裔。若くして高歓と交友を結び、爾朱栄に属した。高歓による実権掌握後は、度々免官されるもその都度復帰して顕職を歴任した。北魏、東魏、北斉の3朝に仕えた。病没。四貴の一人。
関連
劉貴
?-539年。秀容郡陽曲県の人。劉乾の子。爾朱栄の属官を務めると厚く信任され、将軍職、刺史職を歴任し、爵位は公まで昇った。爾朱氏の内紛で高歓が挙兵するとこれに従った。主に対西魏戦線に立ち西魏の独孤信らと戦った。
高隆之
494年-554年。字は延興。元の姓を徐という。徐幹の子。元悦の属官となるが、早くから高歓と親交を深めた。農業や治水の政策に明るかった。高澄の死後は高洋を軽んずる振る舞いがあり、高洋に殺害された。長身で美しい髭を持ち、感情を表に現さなかった。四貴の一人。
孫騰
481年-548年。字は龍雀。孫機の子。爾朱栄および高歓に従った。高歓に元朗を擁立するよう勧めた。主に高歓の後背を守った。高歓の信任を得て顕職に昇る一方で、素行の悪さを高歓にしばしば譴責された。病没。四貴の一人。