王琳
publish: 2022-03-14, update: 2022-03-27
526年-573年。字は子珩。会稽郡山陰県の人。王顕嗣の子。姉妹が湘東王・蕭繹の妃となったため早くから蕭繹に信任された。王僧弁と共に侯景の乱を収めたが、江陵が西魏に陥落すると、陳霸先政権や後梁政権を認めず、蕭荘を擁立して北斉を後ろ盾とした。呉明徹の北伐に抗ったが、北斉の救援を得られず捕縛され、護送中に殺害された。
関連
陳慶之
484年-539年。字は子雲。斉代から蕭衍に仕え、梁が建つと武功を重ねて昇進した。北魏の北海王・元顥を擁して北伐し洛陽を占領した。爾朱栄の反攻により洛陽を追われるが、その後も北魏戦線を支えた。武芸には疎かったが指揮官として非凡で、身に纏った白袍を畏怖された。病没。
蕭子顕
487年-537年。字は景陽。蕭道成の孫。豫章王・蕭嶷の子。斉の寧都県侯。斉末の混乱で危うい立場だったが、蕭衍に保護されて以後、重職を歴任した。学問を修め沈約に称えられた。一方で、傲慢との評が残り、諡には蕭衍から「驕」を贈られた。二十四史の『南斉書』の著者。
顔之推
531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。